2012年2月29日夜中の1時過ぎに更新した記事。
昨日今日と忙しくて、ブログをゆっくり更新出来ない。
土曜日の武道館ライブの日のことを早く書きたいのだけど。
とても幸せな一日だったから。でも今夜はもうこんな時間だから、ひとつだけ。
エレカシの6月のワンマンライブ、今日が当落発表だった。
私は初日の東京一日目と、名古屋に申し込んでいたんだけど、無事2日とも当選していた!!
やったぁ!!!
これでミヤジに会えるよ。
はじめてミヤジに会えるよ。
彼の歌を生で聴ける!!今日はいいことと悪いことが一度にやって来た。
でも、いいことのおかげで、悪い出来事がシュワシュワっと泡のように消えて行きそう。
完全に消えて無くなっちゃえ。
とうとう私はエレカシのワンマンライブに行ってしまうんだなぁ。
なんで急にこんなことになったんだろう?
私は今、ミヤジに惚れちゃってるの。
エレカシの世界にどっぷりなのです。たぶん、いま私に一番足りないモノを補ってくれるのがエレカシなんだと思う。
ミヤジの歌を聴いてると、どうにも胸が騒いで仕方ない。
じんわり沁み込んで心の中から癒してくれるのがまさやんの音楽なら、エレカシの音楽は、無理やり腕を掴まれてグイグイ引っ張り回されているような、
とにかく始めようぜ!動き出そうぜ!前に進もうぜ!という具体的かつ強いメッセージが、もう身体にストレートにぶつかって来るんだよなぁ。私、今まで平和に何事もなく過ごして行ければ、それが幸せだと思ってた。
平穏無事に、家族みんな笑って暮らして行ければ、それが何よりの幸せだって。でも、エレカシの音楽、ミヤジの伝えようとしていることに耳を傾けているうちに、それだけじゃダメなんじゃないか、と思うようになって来た。
やっぱ、人は生きてる以上、上を目指して行く存在なんじゃないかって。
向上心やヤル気、もっとたくさんの経験をして精神を高めて行きたいとか、とにかく、今いる場所より少しでも上を目指して、それに向かって突き進んで行くことが大事なんじゃないかって。
それがつまり、“生きている”ってことなんじゃないかって。私は今、生きているけれど、それはただ命が消えずにいるってだけで、
“生きる”っていうのは、こんなもんじゃ無いんじゃない?エレカシを聴いてると、すごくそんな気になって、とにかくもう胸が騒いで仕方ないの。
胸の奥でマグマがグツグツと沸き立ってる感じ。ミヤジはそれをちゃんと自分で実践してると思う。
体ぜんぶ使って全身で歌を表現する姿を見ているだけで、もう観てる方は平静ではいられない。ミヤジに胸を張れる自分でいたい。
エレカシに恥じない自分になりたい。ただ安穏と暮らしていたら、エレカシの音楽と対峙することなんか出来ないと思う。
これまでの自分の生き方を見つめ直してしまう・・・
そんな音楽なんです。
エレカシの音楽は。
これを書いていた昔のブログをひょんなことから発掘した。
エレカシのファンになったばかりの頃だ。
※「土曜日の武道館ライブ」とはエレカシのライブではありません。
エレカシにハマっていくその過程を綴った自分の文章が、ものすごいエネルギーを発している。
文字が熱を持っているかのよう。
そうだった、、、こうして大きなパワーに引き寄せられるようにして私はグイグイとエレカシの音楽に夢中になっていったんだ。
といっても、今もこういった気持ちはほとんど変わっていなくて、いまだに宮本さんの歌に揺さぶられ心を動かされて感動している自分がいる。
昨夜の「ミュージックステーション」で歌った「悲しみの果て」も凄かった。
凝った演出やパフォーマンスもなく、ただ「歌を届けること」だけに特化したあの真っ直ぐな歌を聴いて、視聴者の人たちは何を感じただろうか。
ウソもごまかしもない、淀みのない歌とあの目!
宮本さんの歌う姿からこうも目を離せなくなってしまうのは、彼の魂がストレートに聴く者の心にぶつかってくるから。
彼の魂がさらけだされた歌だから。
そんな本気の歌だから、聴く側のど真ん中にドーンと訴える力を持っているのだ。
宮本さんの口癖である「ドーンと行こうぜ」というあの「ドーン」は、宮本さんの生き様そのもの。
彼にとって「ドーン」とは「己を晒す」ことなのだろう。
「友達がいるのさ」で、「かわいがってる ぶざまな魂 さらしてみてぇんだ」と歌い、「ワインディングロード」で、「己をさらして行こう ゴー」と歌っている宮本さん。
宮本さん自身にとっても「ドーンと行こう」というのは永遠のテーマなんだろうと思う。
私から見れば宮本さんはいつでもドーンと生きているように見えるけど、きっと本人は「まだ足りない」「もっとだ」と自分をさらなる高みに追い込んでいるに違いない。
こういう人に出会ってしまったから、私ももう前みたいな生ぬるい生き方は出来ないなと思う。
そんな緩い自分を許せなくなってしまった。
エレカシの歌はいつでも私に「ドーンと生きてるか?」と問いかけてくる。
しっかり生きなきゃいけない。