宮本さんという人は、私にとってどんな存在なんだろうか?と考えてみました。
まずとにかく宮本さんの歌が好きで宮本さんの作る曲が好きで、そして宮本さん自身にも憧れを抱いているわけですが、でも「どういう存在か」と考えると、たぶん一番近いのは「自分をいましめてくれる存在」なのだと思います。
今の私は、何かといえばエレカシの曲がBGMで流れているような状態で、生活の中にエレカシが色濃く沁み込んでいます。
すると、何かを考える時、行動する時、ふと振り返る時、いっつも脳内に宮本さんの歌が聴こえてくるんです。
励まさされたり勇気をもらえたりといったプラス面だけでなく、エレカシの場合は、ダメ出しされたり叱られたり、時には冷たく突き放されたりといったこともあって、自分の心次第では深く落ち込んでしまうこともあります。
叱られたり突き放されたりというのは、たいてい自分がダメダメな時なんですが、やっぱりエレカシの歌に顔向けできないようなことをしている時は宮本さんはすごく怖いし、肩がすぼまって自分がどんどん小さく縮んでいくような気がします。
自分に後ろめたいことや情けないところがあるとそうです。
逆に、自分が努力している時、がんばっている時、苦境に立ち向かっている時は、エレカシの曲がもうとんでもないパワーとなって私を後押ししてくれます。
聴くときの自分の心境によって、曲が別物になるんですよ。
で、どちらがより心に強く訴えてくるかといえば、励まされるときより叱られるときなんです。
宮本さんに叱咤されているように感じるときは、どこか心が弱っていたり自分の怠け癖が出ていたりと、生活があまり躍動していないときです。
そんな時にエレカシを聴くと、何だかすごく戒められる感じがして、気持ちが引き締まるんです。
本当に弱っている時はエレカシに見捨てられてしまいそうな気がしてそのまま沈んでいっちゃうこともあるんですが、でもまた浮上しかけたところで宮本さんの歌を聴くとグッと拳に力が入る。
今の私、叱ってくれる人が本当にいなくなっちゃって、気楽な反面なんだか拍子抜けした毎日なんです。
叱られないのって、なんか野放しにされているような不安感があるんですよね。
贅沢な悩みなのかもしれませんが。
もうこの年なんだし、自分で考えて行動していかなくてはいけないんですが、人間は弱いですからついラクな方向へ行ってしまったり、自堕落になってしまったり‥。
で、そんなラクな日々が続くと、だんだん気持ちも慣れちゃって気迫がなくなってくるんです。
すると生き方がだんだんぬるくなってくるんですよ。
そんな時にエレカシを聴いたら、もうボコボコにされるくらいのショックを受けてしまいます。
私ってダメダメだ……と。
もう泣けてくるくらいに自分が情けなく思えてくる。
だから、私にとってエレカシの音楽、宮本さんの存在は、大切な毎日を怠けて過ごさず自分が勇気をもって前に進むための、ある種「いましめ」のようなものだと思うのです。
ラクに生きることはできるけど、それはもしかしたら豊かな人生とは真逆なものかもしれません。
宮本さんの生き方を見ているとそう思わされるんです。
宮本さんの生き方って人にはちょっと残酷というか、、、あんな風に生きられる人なんて他にいるんだろうかと思います。
宮本さんのあの生き方に触れて自分の足りなさにショックを受ける人、大勢いると思うんですよねぇ。
だからこそ憧れるし、目指したいし、もっとちゃんと生きなくちゃと思えるんですが、でもあまりに眩し過ぎて目がくらんで辛くなっちゃう時もあります。
それにしても、ここまで私の生き方や考え方に大きな影響を与えた人がかつていただろうか…?
それはもう暴力的ともいえるほどものすごい影響を受けてますから、エレカシには。
つまり「戦う」ということなんですけどね。
人生は戦いだということ。
己との。
確かに人生は大なり小なり戦いの連続ですが、これまでそんなふうにはっきり意識したことのなかった私が、戦いに挑む=挑戦の人生をしっかり自覚して生きるようになったのは、エレカシを何年も聴き続けて洗脳された影響だと思うんです。
雑誌のカッコいい写真を見たり、テレビで歌う姿を観たりして「きゃー」という気持ちもあるんですが、でもエレカシはもっと生きるベースというか私のとても深い部分に根付いていて、だから生き方自体にダイレクトに影響してくるわけで。
だから案外ライブに行かれなくてもそんなに淋しくなかったりします。
そんなことないか、、、淋しいことは淋しいですよね。去年の三島や今年の新春は本当に悲しかった‥。
でも、ライブは非日常ですからね。
それはまた別物です。
私にとってエレカシは日常ど真ん中で、それは別に本人たちに直に会えるかどうかは関係なくて、エレカシ=生活、エレカシ=今この瞬間、という感じなんです。
本人たち不在だけど、私の中では常に1対1で対峙している感覚なんですよね。
それはもう憧れとか恋心とかまったく排除された、ぜんぜんキラキラ感のない地味な日常の中で。
エレカシってそういう存在なんです。
日めくりカレンダーに印付けたのは
命の灯を燃え立たせるため
時を超えて さあ
「甘き絶望」/エレファントカシマシ
最近は「町を見下ろす丘」を聴いているんですが、中でも「甘き絶望」はいちばん好きな曲です。
メロディも歌詞もほんと好きです。
日々を生きることをしっかり噛み締めたい。
1日1日と真剣に向き合っていかないとな。
それではまた。
歩子さん、こんばんは。
エレカシから歩子さんのブログを知り、私の中での楽しみと言うか、癒しになっているのですが、私は超アナログ人間で、ネット上の常識というものがいまいちよくわかっていません。
なので、こうして度々コメントを書くことが、失礼にあたることでしたらすみませんm(。_。)m
何かありましたら、遠慮なくお知らせ下さい_(._.)_
またまた今回のブログもまったくその通りで、自分の気持ち、心の情態で感じ方が変わりますね。
子供達が巣立つ頃になってきて、この先の人生を考える、考えなきゃいけない年齢になってきて、今までの自分をふりかえる事が多くなってきたのですが、誰かに甘えてばかり、ぬるま湯につかりっぱなしの事が多くて、情けなくなるわりには、何の努力もせず、素敵な人生を送ってる人をうらやんだりして、生きていることを無駄に過ごしてきちゃったなぁと思って悲しくなるんですよね。
でも、エレカシの曲、宮本さんの歌声、バンドの演奏を聴くと素直に自分と向き合えるような気がしています。
己との戦いに負けてばかりの私ですが、1日1日真剣に大切に生きて行きたいものです。
私も「甘き絶望」大好きです。あの歌詞の部分大好きです。もちろんメロディーも!
ふうせん。さん
お返事が遅くなってしまいどうもすみません(*_*;
>こうして度々コメントを書くことが、失礼にあたることでしたらすみません
とんでもないです。コメント大歓迎です!
同じエレカシファンの方とこうしてお話できるのは私にとってすごくうれしいことなので^^
ふうせん。さんのおっしゃること、まさに同じ気持ちです。
これまでの人生、なにかいつもバタバタ忙しくしていたわりには、改めて振り返るとただ流されていただけのような気がして、情けない思いに駆られてしまいます。
宮本さんのように抗って戦ってきた歴史がとても尊く思え、逆に自分がとるに足らない人間のように思えてしまいます。
…が、今からでも遅くない!と奮起し、エレカシを聴きながらズンズンと自分の道を進んでいこうと思っています!
「甘き絶望」、いい曲ですよね。
このころの曲がやっぱり沁みるんですよね…
歩子さん初めまして突然のコメント失礼します。
ブログを読ませていただき改めて自分の中の 「エレカシ」 の存在を確信させられました。私の中で挑戦し続けること戦い続けられる大切な素がエレカシなのだと・・・
実は新しい仕事の環境で色々とあり今日へこんでいたのですが歩子さんのブログを読んで移動の日、頑張るよりも負けないと奮い立たせた自分を思い出しました。明日も戦かって来ます。素敵なブロブをありがとうございます。
フモさん、はじめまして。
コメントありがとうございます^^
>私の中で挑戦し続けること戦い続けられる大切な素がエレカシなのだと・・・
私も同じです。
エレカシを知る前はどうやってがんばっていたんだろう?^^;
穏便に生きることを第一優先にしてきた私ですが、エレカシと出会ってそれじゃダメなのかも?と改めて生きる意味を考えるようになりました。
これからもエレカシのこと書き続けていきますので、よかったらぜひまた読みにいらしてください♪
歩子さん、私にはここに書かれている歩子さんの叫びがまるで宮本さんがよくインタビューなどで言ってた言葉の様に思えました。宮本さんの様には生きられないと仰っていますが、やはり宮本イズムは十分に歩子さんの中にあるのではないでしょうか。
私も最近、町を見下ろす丘を聴いていました。本当にいいアルバムですよね。夕暮れのウォーキングやお風呂で聴くとまた涙を誘う名曲が多い。私は曲を聴いても、漠然と「いい曲だ」ぐらいしか表現出来ませんが、歩子さんの表現力は本当に凄くていつも「そうそう!まさにこういうこと!」って同感します。尊敬します。私が言うのもおかしいですが、あまり宮本さんのようにご自分に厳しくしないで下さいね!
すずらんさん。
宮本イズムかぁ……確かにそうかもしれません。
きっと、もともとそういう要素を持っている人がエレカシの曲にビビッと反応するんでしょうねぇ。
町を見下ろす丘はを聴きながらウォーキングしていると、つい人生観とか生き方とか深いことを考えてしまいます。
ユニバーサル期になると急に外に開けてきてそれも好きですけど、やっぱり初期やEMI期の曲に心が震えます。
表現力といっても、いつも同じ言葉を使いまわしているだけなんですけどね(;^_^A
まだまだです…。
心→文字の自動翻訳機があったらもっと豊かな表現ができるのでしょうけど、頭の中で四苦八苦して思いを文章に落とし込もうとする過程も嫌いじゃないんですよね。
>あまり宮本さんのようにご自分に厳しくしないで下さいね!
ありがとうございます。
ブログに向かうと神妙な心持ちになってああいう文章を書いてしまいますが、普段はけっこうゆるい暮らしをしているので大丈夫だと思います^^;
私もたいせつに今日を生きる人になりたいと思うようになりました。現実は何かと厳しく落ち込んだりたそがれる事も多いけど、でもなるべく前を向いて胸を張って歩いていきたい…宮本さんの影響ですね
エレカシの音楽で宮本さんの歌声でどれほど勇気づけられてきた事か…
甘き絶望、歌詞もメロディーもかっこよくて素敵ですね。歩子さんの影響で、より好きになりました(^_^)
これからも人生の先輩である宮本さんの音楽や生き方からいろんな事を学びたいです
きみぽんさん。
現実は厳しい、、、まさに。
でもそうですよね、宮本さんの「胸を張って」という言葉にいつも勇気をもらえます。
いつでも戦う気力があるとは限りませんが、できるだけ希望をもって前を向いていたいなぁと思いますよね。
甘き絶望、カッコいいんですよねぇ~、歌詞も美しくて男のロマンがあって。
「コンクリートのビルの下に飼い慣らされた野望」とか、まるで小節みたいな表現が素敵です♪
いましめですか…。
自分には、その感じはほとんどなく、驚きました。そんなにストイックなのか…と。
私にとっては、主に脳内洗浄。
その時、精算できなかった、失敗や負の感情を、曲を浴びて洗い流してます。
スッキリ出来なくても、前は向けます。
うまくいかなくても、出来ない時は出来ないなりにやり過ごす。
周りに、少々迷惑かけても、お世話になっても、自分が笑って居られることも、ものすごく大切…。と思います。
なかなか器用にできないもんですが…あまり、リキまず、元気を出していきましょう!!
フリージアさん。
たぶん私が初期の曲やEMI期の曲を好んで聴いている影響もあるかもしれません。
エレカシの曲を聴いていると、つい自分を見つめ直してしまうというか。
現実の陰でかすんでしまいがちな憧れとか夢とかいったものが宮本さんの歌に共鳴しているんだと思います。
もともとは自分の中にあるものが、エレカシの曲によって鮮やかに浮かび上がるような感じで。
能動的に生きていきたくなるんですよねぇ。
宮本さんの「ぜんぜん地の底から湧き上がってない」という言葉がとても印象的だったり。
「絶交の歌」の中で、「貴様、今までに何をしてきた」という言葉にガツンと来たり。
エレカシの歌詞で戒められるのが好きなんだと思いますw
大変共感できます!
ジャストエレカシ同世代なのですが、80-90年代は洋楽ロックどっぷりでエレカシにどはまりしだしたのは正直4-5年前からです。
宮本さんが耳の病気で休業したというニュースがきっかけで。
それ以来過去のアルバムを全て聴いてとくにエピックとEMIを熱烈に聴き込み、、、。
本当に生活がエレカシの音とともにあると言って過言ではないほど。
ちょうど自身も独立して仕事をするにあたり、宮本さんの歌詞の世界と力強いサウンド、ときにはやさぐれ毒づきながらもそのストイックでも清冽で高みを目指すマインドに前へ前へ、と鼓舞されつづけてどんなにか助けられたことか。
このテンションを30年間保ち続けていることには感動と共感を禁じ得ません。
策士さん。
共感いただけてうれしいです^^
おお、あのニュースがきっかけで。
私も初の野音ライブがあの年で、ものすごく動揺したのを覚えています。
エピックとEMI、好みが同じですね♪
策士さんのコメントを読んで、日本中のファンを励まし鼓舞してくれるエレカシの存在に私も改めて感動しています。
とくにエピックはものすごいエネルギーを持った曲が多いので、仕事で悔しい思いをしたときなどによく車で大音量で聞いてましたね。
うつらうつらとか。あれは定番でした。
あんなバンド、あんな歌手はほかにはいませんよね。